2009年03月27日
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「現場付近に集合せる内径2,100粍鋼管」写真はどこか・ようやく辿り着いた仮説「泉新橋1号人道橋説」

Written By: 川俣 晶連絡先

これまでの経緯のまとめ §

 土木学会図書館|土木建築工事画報に「1925(大正14年)年2月~1940年(昭和15年)9月まで発行された「土木建築工事画報」全巻」がPDFファイルとしてあり、その中に以下の文書があります。

 この文書は、昭和7年4月号掲載であり、玉川上水新々水路建設中に記述されたものです。この記事に掲載された以下の写真の撮影地を特定する試みを続けています。

鋼管集合写真

試みの困難さ §

 淀橋浄水場史の90ページより。(以下の在来水路敷とは玉川上水新水路を意味します)

前記工事のしゅん工によって不用となる在来水路敷に対し和泉町, 淀橋浄水場間の築堤4,215m の区間をなるべく自然地盤まで撤去し,幅9m,延長4,302m の砂利敷道路を新設する。

 つまり、写真の背景が玉川上水新水路だと仮定すると、その形から位置を探索する試みは著しく困難ということになります。

 そこで、写真の背景が井の頭通り(境和田堀線)であるという仮定を置いて、合致する場所が見いだせるか調べてみました。

泉新橋1号人道橋説 §

 「現場付近に集合せる内径2,100粍鋼管」写真はどこか・淀橋浄水場史にヒント!で、井の頭通り沿いもある程度は現場であり、神田川のあたりまで「現場付近」と言えないこともない、と気付いたのであらためて現地に行ってみました。

 その結果、それらしい箇所を見いだすことができました。

 以下の写真に入れた色つきの線を、現在の地図と対応付けています。地図中の黒い矢印はおおむね撮影者の視線を示します。

色つき説明図


大きな地図で見る

 以下、アトランダムにトピックをまとめます。

  • 黄色のラインが地面に達した箇所に、赤いラインの下をくぐる橋が存在する。これは「泉新橋1号人道橋」という名である
  • この箇所は、杉並区和泉と永福町の境界にまたがるので、便宜上この説を地名ではなく「泉新橋1号人道橋説」と呼称する
  • 「泉新橋1号人道橋」が存在するため、井の頭通りは北西方向から徐々に高度を上げつつ続き、「泉新橋1号人道橋」を過ぎると徐々に高度を下げていく。 井の頭通りは北西方向の台地上から徐々に少しずつ高度を下げ、「泉新橋1号人道橋」を過ぎると大幅に高度を下げていく。この高度変化がおおむね写真上に見られるラインと整合する、と言えなくもない。また、最頂部の高さも、目分量でおおむね写真の高さと一致する
  • 黄色ラインのような斜路は少なくとも現時点でここにしか確認できない
  • 背景に多数の木々が見えるが、現在も井の頭通りの背後に「杉並区保護樹林」の林が残されている
  • このあたりは現在も水道用地、水道関連施設が多く、当時からこの土地を所有していたとすると、住宅地や農地を潰して作業用地を確保したと考えるよりも無理が少ない。また、境和田堀線の建設にあたって用意された作業用の土地だとすれば、最初からここに土地を持っていたという仮定も無理がない (ただし、昭和20年代やそれ以降の航空写真や地図を見ると、土地の一部は農地や住宅地として見える。土地を手放した、という可能性もあり得る)
  • 写真に写っている影の角度が想定される太陽の位置から見て矛盾しない

まとめ §

 以上が、現地形から見て、少なくとも私が見た範囲内で最も写真と整合する仮説です。しかし、建物が多く増えて同じ場所に立って同じように見えるか検証することはもはや不可能です。実際に見るとまるで違っているという可能性もあり得ます。

 また、玉川上水新水路の築堤という最大のヒントが消失している以上、現地形と整合する候補がここしか見いだせないことは、ここがゴールであるという保証にはなりません。

 有志による更なる研究の深化を期待します。

補足 §

 この写真には錯覚を誘引する要因が含まれる可能性があります。背景の白いラインは、一見すると手前の道路と平行して続いているかのように見えます。その理由は、背景の樹木の頂部を結ぶラインが左下から右上に続いているためです。つまり本来は同程度の高さであるのに遠近法によって高さが違って見えると認識できます。しかし、この頂部ラインは実際には「地面の高さの違いの反映」と解釈することもできます。そのように解釈すると、手前の道と奥のラインが平行するのではなく、直交する解釈も成立します。

 「泉新橋1号人道橋説」は、現地形との整合性から理詰めでこの視覚トリックを解消してやっと成立したものです。

感想 §

 このあたりは井の頭線撮影の絶好のポイントであるし、面白い送電線の鉄塔(北堀線31号)もあります。比較的良く知っている場所だと思っていました。しかし、これほど真剣にこのあたりを歩き回ったのは初めてかも知れません。

2009/03/28追記 §

 玉川上水新水路は左右に比較的ゆるやかなスロープを持つ築堤上に建設されましたが、写真等を見るとこのスロープ部分には植樹されていなかったように見受けられます。とすれば、問題の写真の白い部分を玉川上水新水路の築堤ではない、と解釈できる可能性も思いつきました。

 詳細は要検討です。

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